eternally,by the side

「………………ぎ……」

「…………つ…ぎ……」

「……つる…ぎ……!」

 

「みつるぎぃっ!!」
「っ!?」
  耳元で鳴り響く、怒声。それもかなりの大音量だ。飛び跳ねるように起き上がると、ベッドサイド、困ったような―――呆れたような、複雑な表情を浮かべた成歩堂がそこにいた。腰に手をあてやれやれ、と首を振る彼は、小さな小さな溜め息を吐く。
「まったく……仮眠程度、って言ってたのはどこのどいつだよ。思いっきり爆睡しやがって。イビキ掻いてたぞ、お前」
「ム。私はイビキなど掻かん。キミとは違うのだよ」
「起き抜け早々イヤミかよ…」
  キミが吹っかけてきたのではないか。という一言は飲み込むことにしよう。
「それより、早く準備しろって。間に合わないだろ」
「ム…?間に合わないとは…一体、何の話だ?」
「……お前、まだ寝ぼけてんの?それとも本気で忘れてんの?」
  じとっと睨みつけてくる成歩堂の視線が痛い。ぐ、と言葉を詰まらせれば、成歩堂の眉間に皺がひとつ、ふたつ。
「初日の出。見に行こうって、昨夜約束しただろ」
「あ」
「………絶対忘れてたな、今の反応は」
「い、イヤ、そういうワケでは―――…」
  …あるの、だが。もう一度言葉を詰まらせた私を前に、今度こそ成歩堂は、私にもわかるよう肩を落として大きく嘆息した。

 

 

 昨夜は、つまり大晦日―――1年の締めくくりの日だった。どこへ出かけるでもなく、部屋に、2人。しめやかな年越しを迎えたのは、つい数時間前の事。成歩堂の部屋で2人してコタツに潜り込みながら、頬を寄せ合う。僅かに開けた窓、遠く響いてくる除夜の鐘を耳に、私達は静かに新しい1年を迎え入れたばかりだった。
  誰かと共に新年を迎えるのは本当に久しぶりで、このように穏やかな時を過ごすのも実に十数年ぶり。そんな至福の時間を共に過ごせる相手が、地球上で最も愛しいと思える恋人で。ほろ酔い程度に酒も入れば、少々浮き足立つのも仕方のないことだと、私は思う。
『キミと初めてを迎えたい』
『ぶ!……み、御剣、今、……なんて?』
  背後から私を抱き込んだまま、ぼく誘われてる?などと肩越しに覗き込んでくる成歩堂の顔は緩みきっていた。全く、貴様の頭にはそれしかないのか…この年中発情期弁護士め。狭いコタツに大の大人が無理矢理2人で入っているのだから当然身動きも取り難いわけだが、どうにか近付いてくる男の顔を手のひらで押し返す。そのまま鼻を摘んでやったら、痛いな何するんだよ、と不満そうな、それでいて可笑しそうな、笑み交じりの声が耳元で聞こえた。
『正月の初めてと言えば、初日の出に決まっているだろう。キミは一体何を勘違いしているのだね』
『あー……初日の出、ね。だったら初めからそう言えよ、あんな言い方されたら誰だって勘違いするだろ、普通』
  どことなく残念そうな口ぶりに、思わず笑ってしまった。同じようにして、彼も笑う。後頭部にあたる彼の胸板が弾んで揺れるのが心地良かった。
『じゃ、見に行こうよ。ぼくも御剣と一緒に初日の出見たいしさ』
  成歩堂の声が弾んでいる。うム。と頷く私の声もきっと弾んでいたのだろう、可笑しそうに笑う成歩堂が無性に腹立たしくて、身を捩ると思いっきり鼻を摘んでやった。いってぇ!と声を上げる成歩堂は、驚きに目を丸くしながら鼻を擦っている。少しだけ気分の晴れた私が口元を緩ませると、お返しと言わんばかりに頬を抓られた。…成歩堂の癖に、生意気だぞ。

 

 

 

 そして…丑三つ時となり、ここで強烈な睡魔に襲われた私は、ぼくが起きてるから御剣は寝てていいよ、という成歩堂の優しさに甘えて仮眠をとらせてもらった。流石に成歩堂一人だけを徹夜させるのは忍びないので、2時間ほど仮眠をとった後、彼と交代するつもりで。少しだけ、そう自分に何度も言い聞かせながらベッドに潜り込んだ記憶がある……というのに、目が覚めてみれば、この体たらく。
「すまない、成歩堂…その…」
「……プッ。いいよ、気にしてない。ぼく、別に眠くないしさ」
「ム…。だが、しかし」
「お前があんまりカワイイ顔で寝てるから、起こしたくなかったってのも事実だし。だからホント気にするなよ」
  それより準備準備!早く顔洗ってこい!と腕を引かれて起こされると、勢いよく洗面所へ押し込まれた。確かにぼやぼやしていられるほど時間に余裕はない。ぱたぱたぱた、と遠ざかっていく成歩堂の足音を聞きながら手早く顔を洗っていると、今度は足音が近付いてきた。成歩堂の気配を感じて顔を上げる、と同時に差し出された真新しいタオル。ほら早く早く、と急かされるままそれを使用すれば、続けて押し付けられたのは私の着替え一式だった。
「寒いだろうから、暖かい服選んどいたよ。これでいいだろ?」
「ム………すまない。ありがとう」
  普段からよく着用しているシャツとズボン、それに厚手のセーター。順番に着替えを済ませて洗面所を出れば、既に成歩堂は玄関先で靴を履いているところだった。暖かそうなダウンジャケットを着込むと幼く見えるのが微笑ましい。
「準備できた?あ、これ、コートね。マフラーも巻いとけよ」
「うム。………キミは母親みたいだな」
  トントンと地面で靴先を叩きながら、片手に抱えた私のトレンチコートとマフラーを差し出してくるのを有難く受け取った。と同時に自然と漏れた呟き、きょとんとこちらを見据えてくる彼の目が丸くなって、それで尚一層幼さが増す。立派な成人男性相手にこういった表現はどうかと思うが、成歩堂のこの表情は、純粋にカワイイ、と思う。
「ううん、でも」
「?」
  同じように靴を履き終えると、成歩堂がだらしなく笑って、それで。腰を引かれた、と脳が認識した矢先には、唇が重なっていた。
「母親と子供はさ、こういうこと、しないんじゃないかな」
  ……………全く、キミは本当に大馬鹿者だな。

 

*  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 吐く息が白い。スモーク越しに見上げる空、未だ薄暗いそれは濃紺色。それでも夜明けが近いのか、徐々に東の方角が白んできていた。成歩堂の家から車で20分程度、小高い丘にある公園からは、障害に阻まれることなく景色が一望できた。
「ううう、寒い………」
「見たところ、キミは私より服を着込んでいるようだが…?」
「ぼくは寒いのニガテなんだよ!ううう…平気だと思ったんだけどな…カイロ持ってこりゃよかった」
  ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込みながら、ベンチの上で背を丸める成歩堂。普段の鍛え方が足りんからだろう、全くだらしのないやつだ。しかし唇を震わせながらガチガチと寒さに凍えている成歩堂を放っておくわけにもあるまい。幸い私は成歩堂程寒さを感じていなかったので、マフラーを外すと縮こまっている彼の首元へそれをかけてやった。途端にうろたえた表情の成歩堂が顔を上げる。
「え…?い、いいよ御剣、お前も寒いだろ」
「構わん。キミとは鍛え方が違うのでな、これぐらいの寒さならまだ耐えられる」
「とか言って風邪ひいたらどうすんだよ……ホラ、手もこんな冷たくなってるのに」
  ぎゅっとてのひらが握られた、そう思った次の瞬間には、先程渡したマフラーが私と成歩堂の首元にしっかり巻きつけられていた。
「きっ…!やや、やめろ!私は構わんと言っているだろう!!」
「何でだよ、暖かいしくっつけるし、一石二鳥じゃないか!」
「ここは野外だぞ!誰かに見られでもしたらどうする!」
「こんな廃れた公園に来る物好きはぼくたちぐらいだろ!」
  朝早くから大の大人がぎゃあぎゃあと喚き散らす様は滑稽だろう。ここが人気のない公園でよかった、と思う。そうでなければ近所迷惑になっていたに違いない。
  成歩堂に強く言い切られ、言葉に詰まってしまった。ぐっと喉が鳴る、その隙を見逃さないと言った風に成歩堂に手を握られ、強く引き寄せられる。
「1年の始まりなんだからさ。今日ぐらい、大目に見てよ」
  …そんな風に言われたら、何も言い返せないではないか。成歩堂はずるい。しかしそんな言葉を告げられるわけもなく、仕方無しにマフラーに顔を埋めると、あ、と成歩堂が嬉しそうな声を上げた。
「見て見て、御剣。空」
「空?」
「うん。すっごいキレイ」
  言われて顔を上げれば、先程の濃紺色は姿を消し、成歩堂が指差す空は柔らかな青で染まっていた。地平線から空にかけて、淡いピンクや白、水色が複雑なグラデーションを描いている。言葉では形容しがたい神秘的な光景に息を呑む、2人の間に静かな沈黙が落ちた。
「ブルーアワー、という」
「へ?なに、ブルーアワーって」
「日の出直前に起こる薄明のことだ。夜明け前の数十分間だけ、大気中の光の拡散により発生する現象だな」
「へえ……そうなんだ。意識して空を見る機会なんてなかったから、知らなかったよ」
  納得したのか、しきりに頷く成歩堂はすぐに視線を空へと戻した。よほどこの景色が気に入ったのだろう、時折細められる目はどこか優しい。柔らかい薄明に照らされる成歩堂の横顔をじっと見つめていたら、一瞬だけこちらに向けられる眼差し、きゅっと手を握り締められてたじろいでしまった。
「この現象がブルーアワーって言うんだってこと、多分、ぼくはすぐ忘れちゃうだろうけど」
「…まあ、そうだろうな」
「でも、御剣と一緒に見たこの空のことは、きっと一生、忘れない」
「……………成歩堂」
「御剣と一緒じゃなきゃ、この空だって、ぼくの目には無意味なんだよ。意識して見ることもない。
だから、ありがとう、御剣」
  ぼくと一緒にいてくれて。ぼくと共に歩んでくれて。…本当に、ありがとう。

「成歩堂……」
「あ」
  言葉を紡ごうと口を開けば、成歩堂がまた不意に空へと視線を送る。つられて視線を追えば、―――地平線から覗く太陽の姿。暖かく眩しい光がしっかりと2人を照らし出していた。
「元旦の朝、って感じだなあ」
「うム…………」
  肌に触れる空気は冷たい。防寒対策をしているとはいえ、寒いことには変わりないはずなのに、どうしてこうまで暖かいのだろう。成歩堂の先程の言葉がブルーアワーのグラデーションのように、ゆっくりと、鮮やかに広がっていく。ありがとうと伝えたいのはこちらの方だ、馬鹿者め。
  私達の関係は至極不安定で、約束された未来などない。きっとこの新しい1年も周りに隠し通さなければいけず、肩身の狭い思いも沢山するだろう。罵倒もなじり合いも醜い喧嘩も、恐らくは付き物だ。私達を待ち構えているのは明るい未来だけでない、険しい道のりの方がきっと多い。けれど、それでも、傍にいたい。来年も、再来年も、その先も、ずっと。空を見て微笑む成歩堂のこの表情を、私以外の誰かが見ることのありませんように。こうして初日の出を迎えるのが2人にとって毎年恒例の行事になればいいと、心の底から思っている。
「成歩堂」
「ん?」
  そうたやすく成歩堂の横から退くつもりはない。何と言っても私は、検事局きっての天才検事なのだから。
  だから今年も覚悟したまえよ、成歩堂?
「今年も宜しく頼む」
「こちらこそ」
  光に照らされなくても、導かれなくてもいい。ただ、願わくば。この1年も共にあれますようにと。声になることのない願いは、重なる唇に飲み込まれた。

 

 

 

 ------新年、明けましておめでとう。キミの傍にいられて良かった。

 

 

 

*A HAPPY NEW YEAR!* 2009.01.09